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とーふlist

うつ病と診断され大学を休学中。←現在、復学し前に進む準備中。人生を身軽に生きてみたい!とーふlist 。Twitterもやってます。とーふlist@tofulist

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どんなでも人も「孤独」と隣り合わせ、私の付き合い方。

f:id:tofulist:20170513172532j:image

こんにちは、とーふです。
お越しいただいてありがとうございます!
 
 
 
今回は「孤独」に関するテーマで書いてみます。
 
 
楽しいとき、悲しいとき、平常時・・・
様々な「とき」があります。
 
 
どんな人も感じたことのある感情です。
あなたは、いつでも隣り合わせのようにそこにある「孤独感」をどう感じていますか?
また付き合っていきますか?
 
 
 

孤独とは

そもそも、孤独の定義とは何なのかということを頼れるGoogle先生に聞いてみたところ・・・
 
 
孤独(こどく、英: solitude)とは、他の人々との接触・関係・連絡がない状態を一般に指す。
これは何も深山幽谷にたった一人でいる場合だけではなく、大勢の人々の中にいてなお、自分がたった一人であり、誰からも受け容れられない・理解されていないと感じているならば、それは孤独である。この主観的な状況においては、たとえ他人がその人物と交流があると思っていても、当人がそれを感じ得なければ、孤独といえる。
文学的には、「寂寥」という言い方をすることがある。哲学者の三木清が、『哲学ノート』の中の箴言で「孤独は山にはなく、むしろ町にある」という趣旨のことを言っているのはまさにそのことを指していったもの。

 

2017/04/25Wikipedia参照
 
 
何々、孤独でも色々あるらしい・・・
 
 
孤独には、それに近しい・もしくは含まれる概念が多数存在する。
- 他人から強いられた場合には「隔離」
- 社会的に周囲から避けられているのであれば「疎外」
- 単に一人になっているのであれば「孤立」
という言い方もする。一人でいて、それがただ寂しい(他人との交流を求めているのに、その欲求が満たされない状態)という場合もある。英語では、この単なる人恋しくて寂しいという場合は、loneliness として、solitude とは区別される。
他には
- 他を寄せ付けず気高い様子は「孤高」
があるが、こちらは当人の主観はどうあれ、その優れた性質にも拠り他が近づき難い状況を指す。単に珍奇だとか不快とかで近づき難い存在を指して孤高とは呼ばず、他の追従を許さない優れた性質を表す場合に使われる。用法としては「孤高の天才」など。
2017/04/25Wikipedia参照

 

 
 
 

要約すると?

要約するとかなり主観的なものであることは理解できました。
 
 
どんなパーリーピーポーに他の人がカテゴライズしていても、当人が「孤独」を感じていればそれは「孤独」です。
おまけに人がいないところにいるよりも、人がいるところにいる方が「孤独」であると言った哲学者もいました。
 
 
みたいな感じでしょうか。ざっくりですが
 
 
 

悪いものとか良いものではない

孤独を感じるときは、決して人は不幸でもないし幸せなわけでもありません。
 
 
そのときの体調や人間関係、天気にいたるまで様々な因子が関わってきます。
一概に、コレは悪いものなのだ良いものなのだと決めつけることは人生において負の時間が長くなることを暗示してしまいます。
 
 
人は生まれてくるときも死ぬときも「ひとり」なのですから。
私は「孤独」とは、人が生を受けてから最後の瞬間までを一緒に歩む「影」のようなものだと感じています。
 
 
 

どんなときも

どんなに楽しいときでもいつか終わりがきます。
次があるのかは断定できません。
 
 
しかも充実していても、荒んでいても、暇すぎてもどこからともなく「さみしい」という感情は湧いてきます。
しかも「今」は確実に過ぎ去っていきます。
 
 
どんなときもです。
どんな人でもです。
 
 
 

私の孤独感と孤独観

前提として、私はうつ病です。
最近自分尺度で頑張りすぎているので、治ったように周囲は感じているかもしれませんが、そろそろオーバーヒートしそうです。もうやだ。
 
 
うつ状態が重い日は「無のとき」も多いです。
虚無感や淋しさが固いしこりのように、みぞおちのあたりが重く冷えたような心地になります。
これがとーふの孤独感です。
 
 
私は感情の起伏が体調が悪いときは1日のうちにコロコロ変化します。
 
 
しかし、いつでも感情的になる自分が表面上現れたとしても、冷え切った冷静な自分が自身をみつめています。
孤独とは一人では感じられないものです。
それでも人間は一人で生きるのは辛すぎるし、自分という存在を認識できなくなりそうです。
これがとーふの孤独観です。
 
 
 

「孤独」って結局どんな奴?

「私は「孤独」とは、人が生を受けてから最後の瞬間までを一緒に歩む「影」のようなものだと感じています。」と書きました。
 
 
影は光あるところにできると言いますが、影だらけなら自分の影なんかは気になりません。
 
 
「悪い奴じゃないんだけどね・・・」って感じです。
「ないと物足りない」みたいなみたいな味です。
 
 
 
まぁいるか、いらないかで言えばいりますよね。
 
 
ちょっと意識高い系みたいに感じるかもしれませんが、私の場合「孤独」は自分と向き合う時間は新しい自分をみつけるためにも必要な時間でした。
 
 
今の自分には必要であったと言えるものでしたが、進行形で感じているときに一人であることと独りであることは精神的に感じる重さが違います。
 
 
MAX苦しさや、さみしさを感じるときの本音を言えば・・・
でもぉ「さみしい」ものはさみしいしぃー!!
ひとりは、やだけどぉー
ひとりの時間も欲しいというかぁー
(-_-) と言う何とも情けない顔になってしまいます。
 
 
 

まとめ

私的にまとめると「積極的に感じたくないものだけれど、感じることで新しい自分をみつけることが出来るかもしれない。影のように生きていく上で一生ものの付き合いだから、妥協点などを探しながら歩み寄りが大事。」です。
 
 
 
孤独を感じなくなる方法はなくても、まぎらわせたり上手く付き合っていく方法ならみつけられます。
 
 
 
その傾向は私たちが日常生活の中でとっている行動にあります。
遊び、恋愛、運動、勉強などなど
私たちは無意識に「孤独」への対処の仕方を、無意識的・意識的にしろバランスをとろうとしているのです。
 
 
しかし心が弱ると、その行動が上手くとれなくなります。
そのため医療機関などで、薬をもらったり話をきいてもらったりするのです。
 
 
 
「無知の知」という言葉があります。
自分が無知であることを知っている知識者は、知らない知識者よりも賢いという話です。
 
 
それをふまえて私は自分が弱いこと未熟者であることを知っていて、助けを求めることのできる人は、自分が弱いこと未熟者であることを知らず、限界を目指す人よりも強いと思っています。
 
 
 
 
 
それでは・・・・・・
 
じゃあ恒例のいきますか!  
※このブログ内だけです。流行らせようとしています。
 
はい吸ってぇーーーー(スゥーーー)
吐いてぇーーーーーーーーー(ハァーーーーーーーーーーー)
 
ちなみに吐く息を長くしたほうが、自律神経の副交感神経を刺激して体がリラックス方向に傾きます。
深い呼吸しましょう。そしてリラックスして、脳に酸素を届けましょう!
 
 
知らないうちに、無意識に、笑っているあなたになりますように
 
 
今回もここまで読んでくださってありがとうございました!!